ショパンの史跡を辿る旅
1日目 | ワルシャワ, フレデリック∙ショパン空港 到着
pl<ワルシャワ泊> |
2日目 | ワルシャワ
→『ホノラトカ』は若かりしショパンの行きつけの店としてとても有名です。現在はレストランになっていますが、ショパンの時代には芸術家達や愛国主 義者の多くが集まっていた人気の喫茶店があった場所でした。店が地下にあったために、幸い戦争での被害を免れ、現在でも当時と全く同じような雰囲気を保 つ、ワルシャワで非常に希少な場所となっています。
<ワルシャワ泊> |
3日目 | ワルシャワ=>ジェラゾヴァ∙ヴォラ=>ブロホフ=>サンニキ=>ワルシャワ
<ワルシャワ泊> |
4日目 | ワルシャワ=>アントニン=>ヴロツワフ
→アントニンではショパンの才能を高く評価し、長年、支援をし続けていたラジーヴィ ウ公爵の屋敷があります。17歳のショパンがここでの屋敷で滞在していた際にピアノとチェロのためのポロネーズ作品3番を作曲し、チェロの名手であったラ ジーヴィウ公爵に捧げたと言われています。ショパンのアントニンでの初訪問の155周年を機に、1982年から旧ラジーヴィウ家の「狩の館」では毎年『秋 色のショパン』国際音楽祭が開かれています。
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5日目 | ヴロツワフ=>ドゥシュニキズドルイ=>ヴロツワフ
→ドゥシュニキズドルイは、アントニンとともにショパンの曲をテーマとした国際音楽祭が行われている町です。子供の時から病弱な体のショパンは、 1826年にこの有名な温泉の町を治療のために訪れ、孤児のために演奏も開きました。演奏した場所は現在ショパン館として、毎年夏には音楽祭の舞台にも なっています。町はポーランド南部にある療養所として静かな佇まいを感じられます。主な見所はショパンの銅像のある温泉公園や17世紀の水車の中にある紙 博物館などです。 <ヴロツワフ泊> |
6日目 | ヴロツワフ=>クラクフ
→ ヴロツワフは、ショパンが二度と帰らぬ海外旅行に出かける前に、ポーランドで最後に滞在した町です。1830年11月8日にこの地でリサイタルを開きました。現在のヴロツワフもショパンの史跡が残っているところが多く、南公園の中にはショパンの銅像も立っています。
<クラクフ泊> |
7日目 | 帰国の土地へ |